2025年02月15日

トランプの論理

 今日、正義のミカタでトランプの最近の政策について取りざたされていた。そのなかで目についたのはコメンテーターのトランプの言うことにも一理あるという肯定的な意見である。いろんなマイノリティは全体の何%に当たるのか、正確な統計数値は持たないが、例えば3%としよう。わかりやすく言えば「おかま」が全人口の3%だとすると、トランプの言いたいことはテレビの「おかま」の露出度は3%どころではないだろうということだ。実際、バラエティー番組では20%以上の「おかま」が登場する。この露出度がトランプの意見に同調する人間を増やしている原因ではなかろうか。
 最近のドラマを見ていると、必ずといっていいほど同性愛の男性が登場する。男女別姓のニュースや同性婚を認める国のニュースが飛び交う。一般国民はこれがマイノリティの存在割合(例えば)3%程度の報道なら認めるが、それが過剰報道になっていないかという懸念をもっている。そこにトランプという極端な差別主義者やプーチンのような独裁者がでてきても、完全に反対できない人間は、その中の同調できる部分に支持を見つけ出し、それをいいことに「そら見ろ、私の意見に賛成するものはこんなにいる」と突っ走らせているのではないか。
 1期目で世界の秩序を狂わせた張本人を、アメリカ国民は再び大統領に選んだ。つい今ハーバード大学の首席卒業生の答辞を聞いた。このような学生が全米に多くいても、今のアメリカはトランプという差別主義者を大統領に選んだ。つまり一般国民は、マイノリティによる逆差別を感じているのではないか。これはマスコミの報道が真に民主主義(多数決の論理)に則った報道になっているかどうかを問われているのではないか。少数派はあくまでも少数派なのである。それに対して多数派の不満をうまく利用しているトランプ、及びトランプもどきの政治家に、これ以上勝手な世界の秩序を破壊するような行動に向かわせないよう、早急に多数派は冷静な判断をすべき時である。
posted by 司馬懿太郎 at 12:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月04日

教育の無償化

今、高校の授業料無償化について維新が石破政権に要求を突き付けているが、教科書の無償化が進んだ結果の検証はされてきたのか?私の知る限り、近辺の中学校では学校のロッカーに置いて帰っているらしい。教師もそうするように促しているらしい。少なくとも、私たちが子供だった頃に比べて、その使用頻度、価値は低下しているように思える。そりゃそうだろう。ただで手に入ったものを大事にするしつけなど、今の子供にされているとは思えない。今度、授業料が無償化になれば、授業の価値は上がるのか?テレビでは百○万円の壁よりも、こちらの方が予算が少なく済むといった、金額だけの議論にすり替わっている。
無償化は本当に困っている生徒にだけ適応すればいいことなのではないのか。交通遺児や生活保護など、予算を使うべき場所はいくらでもある。税が上がれば世論が騒ぐと、国債ばかり発行して、本来の予算の使い方がすっかり抜け落ちているのではないか。教科書や授業料が払える親からは取るのが当たり前だろう。
何でもかんでも無償化と言い出した維新に、期待外れの感がする。
posted by 司馬懿太郎 at 19:13| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月03日

今、一推しのドラマ

御上先生(ドラマの中身)の動きに目が離せない。まだエピソード3だが、展開が早くて大きい。これまでの学園ドラマの域を超えているせいか、今の学園レベルがここまできているのか、それは分からないが、昔のように低年齢層、中年齢層、高年齢層に分かれた世代の違いを許してくれないのが、現代社会なのかもしれない。
そうすると、このドラマのように、年齢を越えた状況に直面する学生がいたり、生産年代(こんな言い方もあるようだ)だが、社会に対する知識も関心もない人間がいたり、長老(老齢年代)と言われ、知識や経験を期待されるべき人間が法や規則を率先して守らない(某国では大統領ですら)ものがいたり、カオスに突入した世界を導くものは何なのか?
しかし、宗教などとバカなことだけは言わないでほしい。
posted by 司馬懿太郎 at 14:06| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする