2024年08月31日

納得のいかない兵庫県知事へのバッシング

 一番の理由は告発者の自殺である。せっかく百条委員会開催にこぎつけたのに、告発者が自殺というのは、彼の中に嘘が含まれていたのではないかという疑惑が残る。なぜなら、百条委員会ではどちらの側にも虚偽が許されないからである。もう一つはアンケート調査で実際に見たというのと聞いたという意見がごちゃ混ぜにされて報告されていることである。聞いたことがあるなど、まさに嘘デマの類で、これらをアンケート調査した側がちゃんと篩にかけたのかと、疑問点が残ることである。
 ニュースで聞いていると車止めで歩くところを、なぜどけておかなかったのかと大声で怒鳴りつけたという報告があったが、ではその施設の連中がなぜ車止めのところまで迎えに出ていなかったのかという疑問である。来客には歩かせて、自分たちは玄関で待っているというこの構図が理解できない。確かに知事の対応のまずさがあったのだろうが、兵庫県はこれまで自民党系がずっと政権を担ってきた。そこに維新という新参者が入ってきて、それまで自民党系に合わせてきた職員が、どうも気に食わないと寄ってたかって知事いじめをしているのではないかと思えてくる。
 私はかつて神戸市の公務員だったが、神戸はハイカラなイメージがあるが、非常に保守的な組織である。県も似たような傾向があるのでは。
 百条委員会についても、その構成委員は本当に公正なメンバーなのか。彼らに嘘はないのか。自殺した告発者はあの森友問題で自殺した職員のように、知事ではない上からの指示があり、その板挟みで自殺に追い込まれたのではないのか、そんな疑問が払拭できない。
posted by 司馬懿太郎 at 17:15| 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月10日

兵庫県知事パワハラ問題について

 一番の問題点は、一人の内部告発文をどうとらえるかである。
 規模ははるかに小さいが、私の地域の地縁団体で総会に出席して発言する意見は重要だが、委任状や書面評決の意見は価値がないとおっしゃる方がおられる。そして、総会で役員会で提案する議案を個人的な意見でそれを否決しようとしたり、個人的な意見を議案として採決させようとされる。私が会長に就任した時、最初の総会で、個人の意見は委員会預かりとし、議案として検討してほしい場合は、賛同者五名以上の連名で文書として提出してくださいとお願いした。役員会は役員五名で長い時間をかけ検討し、その結果を議案として総会にかけているのに、総会に出席したからと個人的な意見で会の活動を左右するのは民主主義としておかしいというのがその理由である。
 内部告発も同様である。一個人が告発文を提出するとマスコミは、それがあたかも正義の告発のように扱いがちだが、その信ぴょう性は誰が判断するのか。今回、百条委員会の前にこの告発人が自殺したということだが、この告発人を追い込んだのは誰なのか。もし、この告発が五名の連名で出されたものならば信ぴょう性も高くなり、個人への負担も少なかったはずである。逆に言えば、個人の告発なら誰でもできるわけで、嘘・デマの類も内部告発の形で出される(出された)可能性だってあるはずである。百条委員会は告発されたものは虚偽の発言はできないのと同時に、告発者も虚偽の発言はできない。
 日本は欧米のようなデベートの訓練がされた民族ではない。正直を旨とする民族である。欧米の真似をするとこのような不幸な結果を招くことがあることを肝に銘じるべきである。
posted by 司馬懿太郎 at 17:29| 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月28日

どこからでる差なのか

 福岡の殺人で、計画性がないので懲役20年の刑だという。計画性があれば25年とか30年になるのか。これでは殺された方はたまったものではない。殺された人間よりも、殺した人間の人権が重視される刑法はいつになれば見直されるのか。
 これで、もし殺されそうになり必死で相手を殺したら、正当防衛ではなく、過剰防衛で罰せられるのだろう。いつから、犯罪者を守るバカバカしい世の中になったのか。昔の大岡裁きなどの方がよほど納得がいく。
posted by 司馬懿太郎 at 17:49| 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする