2020年12月27日

脱炭素≠carbon neutral

 以前に「脱炭素」はおかしいと書いたが、そののちこれは carbon neutral の日本語訳だとわかった。どうせ官僚の誰かが訳したのだろうが、近くの数人に「脱原発」「脱自粛」「脱炭素」と並べて意味を聞いたら、100%答えは炭素をなくすことだと答えた。
「菅さん、このような間違った発信をされていることを気づいておられますか」
外国で carbon neutral と言っているのは排出するCO2と植物が光合成で吸収するCO2がプラス・マイナスゼロということで、CO2排出をゼロにすることではない。そんなことできるはずがない。
 この地球上の酸素は植物が作り出したもので、それだけ炭素を固定し炭水化物や脂肪などの栄養素を作ってきた。問題はこれまで眠っていた化石燃料を消費することでそのバランスがくずれ、さらに頼みの綱だった熱帯雨林をどんどん伐採し始めたことに原因がある。人間はまだ光合成を人工的に行う技術をもたない。(これが本当の問題で、政府と科学者の怠慢といっていい)要は排出するCO2を光合成に回せばいいのだが、数億年分の化石燃料をあっという間に消費するものだから追いつかない。ガソリンエンジンを電気自動車に変えたところで全く意味はない。
 以上のことを菅首相がどれだけ理解して、間違った日本語訳の「脱炭素」を推し進めていくのか見ものだ。
posted by 司馬懿太郎 at 10:27| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする