2024年09月29日

知の甲子園を見て

 ある学校が「英語アプリ」を発表したが、審査員の一人が英語は英語で考えないといけないといった趣旨の発言で、アプリの欠点(?)を批評していたが、これはあなたの方が変でしょうといいたい。生徒たちは小学校時代から英語嫌いが発生し、これを解消するためにとアプリを作ったわけで、英語をペラペラ話せるようになるアプリを開発しようと思ったわけではない。
 今回の研究テーマがその審査員の言うようなものなら、最初からそう言えばいいのであって、この研究は生徒が目的を決め、それに向かってアプリを開発したもので、その良し悪しを評価するもので、審査員の考えに沿ったアプリを開発するものではないでしょう。
 今の日本の英語教育は、英語でものを考え、つまりネイティブと同じレベルに生徒を持っていこうというという目的で教育しているわけではない。それなら英会話教室へ通えばいいわけで、日本は、学校での語学教育はあくまで日本語を基盤として、他国の文化を理解しようという目的で行っている教育である。だから、日本語を通して英語を理解して何も悪いわけではない。
 有名企業が外国人を多く入れ、ミーティングはすべて英語ということを売りにしているが、日本文化を無視し利益だけを追求しているとしか私には見えないことが多い。グローバル化ということがそうなら、ちょっと立ち止まってもう一度見直した方がいい。
 欧米は民主化といういい響きの言葉を使うが、現実は男女の区別をあいまいにし、生物的雄雌を否定し、その結果少子化問題とは本末転倒ではないのか。マイノリティを重視するあまり民主主義の基盤である多数決をないがしろにする。国連の拒否権はその最たるものではないか。
 言いたいことは、世界に誇れる日本文化をあまりにも過小評価し、何でもかんでも欧米化が最善だと思う有識者が多くなったという点を、国民は気をつけて見ていくべきだということである。
posted by 司馬懿太郎 at 19:34| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これでは勝てない

 兵庫県知事が失職を選んだ。本当に自分の行動が理にかなっていたと思うなら、マスコミや世論に負けずに議会解散を選ぶべきだった。これでは出直し選挙勝てない。
 この問題の発端である内部告発が、匿名でマスコミに流されたこと、これが一番の問題点だったのに、この議論が全くされていない。一個人が匿名で県の首長を批判することをなぜ問題視できなかったのか。これは知事の初動対応の仕方が間違っていたからだ。この点を謝罪せずに引き延ばした結果が不信任決議となった。
 告発者が自殺した。死んだ方が常に正しいなどという決まりはない。百条委員会開催までいっているのに、直前で自殺するのは告発者側にそれなりの理由があったはずだ。しかし、マスコミはこのことを一切調べようとしない。精神的な苦痛とか、うつ病にかかっていたとか後付けの理由など信用してはいけない。
 兵庫県庁内の職員の行動、思想など、多くの問題をかかえている可能性があるにも関わらず、いくつかのミスを犯した知事を、よってたかって揚げ足取りをし追い詰めていく、こんな手法こそパワハラそのものである。
 一度弱みを見せると、次から次へ知事批判が飛び出す。それならなぜ、告発者が出た時点で、多くの職員が内部告発しなかったのか。できるなら、知事も含め議員、職員全員が一度失職し、出直すのが県民に対する誠意ではないのか。(実際は不可能なことだが、元兵庫県民だったのでここまで言わせてもらう)
posted by 司馬懿太郎 at 05:12| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レベルの低い法案

 今朝のニュースを見て、アメリカの馬鹿さかげんがここまで来たかと呆れかえった。「タコの養殖禁止法」がカリフォルニア州で成立したという。ワシントン州でも成立しているようだが、まずこの法案がロシアのウクライナ侵略やイスラエルのガザ地区での虐殺と同程度で議会で話し合われている点をアメリカ国民はどう思っているのか。また、この法案に対して専門家だという大学教授が、その理由としてタコは記憶力がよいからだという。以前、日本の捕鯨に対してもクジラは知能が高いから禁止だと、自分たちは平気で牛や豚を養殖してたらふく食っているくせに、いかに身勝手な理論なのか呆れかえる。牛や豚は記憶力が低い、馬鹿な動物だら食ってもいいという理屈になる。最近では、植物にも感情があるという研究結果もある。それなら米や麦だって食えなくなるのか。
 生物は「食物連鎖」の上で生命を維持している。その確保として養殖という技術を取り入れているのだが、それを自分は食べないからと批判するのは、デベート天国のアメリカの最大の欠陥である。もっとも、最高権力者を選ぶ選挙でも自分勝手なデベート術で相手を攻撃し、言い負かした(あ)方が勝ちだという。こんな国が「世界の警察」だという幻想はすでに消えている。
posted by 司馬懿太郎 at 04:50| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする