2024年07月27日

策に溺れた?パリオリンピック

 今現在もパリオリンピックの開会式が続いているはずだが、これほどTV受けしない開会式を見たのは初めてだ。今後、同じような開会式をしようとする国は皆無だと思う。パリはどのような目的でこの形式を選んだのか。対岸から、各国の船が通り過ぎるのをただ映すのみ。その代わりにファッションショーのランウェイなのか、トランスジェンダーを含む大写しの、ただ歩く映像。見たいのは選手の大写しなのに。
 解説のアナウンサーは一生懸命盛り上げようと説明をするが、滑りまくっている芸人の紹介のようで、これは無理だ。
 フランス、まさにふあんす(不安す)だ。
 久々に道路わきでマラソンを見る感覚に襲われた。選手が目の前を通り過ぎるだけ。TVなら選手の表情を映し、選手と一体感になって応援できるのに。
posted by 司馬懿太郎 at 05:16| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月23日

ハリスの旋風は吹くか?

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YouTubeより引用させていただきました「チビ、もう戦う元気は残ってないのか」
posted by 司馬懿太郎 at 10:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月22日

長時間TV何の意味が

 各民放で〇〇時間TVというものが放映されるが、今回27時間TVの一部がたまたま映っていたので見ていると、お笑いタレントがツルツルの粘液を塗った階段を駆け上るシーンを延々と流している。これはテレビ局のスタッフが夏休みをとるために、タレントに丸投げして時間を確保するためのものか?
 暇つぶし、時間つぶしに公共の電波を、このように使うことが許されていいものなのか。「何を、頭の固いことを言うな」と言うレベルの人間が多くなったために、このような番組が野放しになっているのだろうが、いくら表現の自由だからといって、TV局のトップの知性の低下が疑われる。
 そもそも、TV局の特番による手抜きは今に始まったことではない。季節の変わり目ごとに繰り返される「特番」、お笑いタレントまかせ、番宣俳優まかせという、TV局スタッフの知性など全く感じられない番組を見て(すみません、最近はもう見なくなりました。バカバカしくて)、報道という特殊なメディアの役割責任を果たしているのか、責任者に問いたい。
 最近は、NHKまでもがそのような民放の真似事をやり始め、個人の意見をずらーとパネルに張り付けて紹介している。SNS(もちろん、私のこのブログも含めて)の個人の意見がそんなに大切なものなのか。聞き流す、見流す程度でいいのでは。それをわざわざパネルにして紹介する、NHKの程度の低さには、視聴料返せと言いたい。
posted by 司馬懿太郎 at 12:08| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする