ある地方紙の一面に「後絶たぬいじめ自殺」の記事があった。新聞という立場上、書けないのかもしれないが、いじめは今後もなくならない。差別もそうだが、人間は常に周りを比較しながら見ている。見かけで好ましく思ったり嫌悪感をいだいたり。
しかし、だからといってそんな感情もつなと言うのはおかしいし、そんな感情を消し去ることはできない。要は、そのような感情をそのまま相手にぶつけて、相手を傷つけることがないように自制心をもつことが重要なことなのではないか。そして、その自制心の弱い人間は法律の力を借りて自分を規制するしかないのではないか。
人間は性善説でも、性悪説でもどちらにも縛られるものではない。善悪の区別がついた頃からどちらの性格も持ち合わせているものだと思う。そうでなければとっくの昔に犯罪などなくなっている。心の中に善と悪の割合が人によって違うだけで、どちらにも転ぶのが人間ではないのか。
いじめの問題に戻すと、「いじめをなくしましょう」などという呼びかけは何の効果もない。いじめを思いとどまる人間は最初から思いとどまっているのだから。問題は、ふとしたことからいじめをしてしまう人間をなくすこと、これはいじめをすれば自分に跳ね返ってくることをわからせる、結局、法律で罰する手段しかないと思える。言って分からせるとか、良心に訴えるとか、いじめを自制している人間からすれば聞き飽きた空念仏はやめにしてほしい。