ある地方紙の一面に「後絶たぬいじめ自殺」の記事があった。新聞という立場上、書けないのかもしれないが、いじめは今後もなくならない。差別もそうだが、人間は常に周りを比較しながら見ている。見かけで好ましく思ったり嫌悪感をいだいたり。
しかし、だからといってそんな感情もつなと言うのはおかしいし、そんな感情を消し去ることはできない。要は、そのような感情をそのまま相手にぶつけて、相手を傷つけることがないように自制心をもつことが重要なことなのではないか。そして、その自制心の弱い人間は法律の力を借りて自分を規制するしかないのではないか。
人間は性善説でも、性悪説でもどちらにも縛られるものではない。善悪の区別がついた頃からどちらの性格も持ち合わせているものだと思う。そうでなければとっくの昔に犯罪などなくなっている。心の中に善と悪の割合が人によって違うだけで、どちらにも転ぶのが人間ではないのか。
いじめの問題に戻すと、「いじめをなくしましょう」などという呼びかけは何の効果もない。いじめを思いとどまる人間は最初から思いとどまっているのだから。問題は、ふとしたことからいじめをしてしまう人間をなくすこと、これはいじめをすれば自分に跳ね返ってくることをわからせる、結局、法律で罰する手段しかないと思える。言って分からせるとか、良心に訴えるとか、いじめを自制している人間からすれば聞き飽きた空念仏はやめにしてほしい。
2021年10月03日
批判の対象が違う
Yahoo J.の日刊ゲンダイによる小室家への批判に対するコメントを見たが、このコメントを書いた記者さんも皇室のとらえ方が間違っている。現憲法下で象徴天皇の下、皇室一家は世界で唯一人権が認められていない一家である。それを国民に寄りそう皇室にしようと宮内庁が画策したのだろうが、それは政治家と同じ憲法の都合の良い解釈であって、それに慣らされた国民やジャーナリストは今回の結婚問題についても、三面記事的な見方であれこれ議論や批判をしている。
それを避けるためには、宮内庁は眞子さまを先に皇室離脱を宣言すべきではないのか。そうすれば一般国民と同様自由に結婚へ移行できる。皇室の中にいる内親王として小室さんを選んだために、その家族のスキャンダルについて批判するのは当然ではないのか。英国の王室と天皇家とは似ているが別物なのだから。コメントの言うような、皆祝福しろというのはお門違いもはなはだしい。皇室一家は親子、兄弟姉妹である前に憲法下で天皇家を存続させることが唯一絶対の使命なのだから。
何度も言うが、そんな非人間的なことは許されないというなら、即刻憲法を変えて人間天皇を復活させるべきなのだ。
それを避けるためには、宮内庁は眞子さまを先に皇室離脱を宣言すべきではないのか。そうすれば一般国民と同様自由に結婚へ移行できる。皇室の中にいる内親王として小室さんを選んだために、その家族のスキャンダルについて批判するのは当然ではないのか。英国の王室と天皇家とは似ているが別物なのだから。コメントの言うような、皆祝福しろというのはお門違いもはなはだしい。皇室一家は親子、兄弟姉妹である前に憲法下で天皇家を存続させることが唯一絶対の使命なのだから。
何度も言うが、そんな非人間的なことは許されないというなら、即刻憲法を変えて人間天皇を復活させるべきなのだ。